認知症よもやま話

認知症よもやま話

よもやま話もだいぶ間があいてしまいました。前回はまたしても堅いお話になってしまいましたので、反省して今回は、少しくだけた、でも深刻でもあるお話にしたいと思います。
題して、「忘れえぬ認知症の人たち その2」

その6忘れえぬ認知症の人たち その2

相続?争族?

これも大阪府堺市にある病院に勤めていた頃のことです。認知症の人を専門に治療する病棟に84歳の女性Aさんが入院してきました。岡山県で生まれ育って、そのまま同じ土地で暮らし、ある大地主の息子さんと結婚されました。2人の息子さんを生み、立派に育てあげました。息子さんたちは関西方面の大学をでて、そのまま就職し、それぞれに家庭を築かれました。
いろいろあって旦那さんや親族のひとが亡くなられたりして、80歳ころから独居の生活になります。町中に土地・建物があって財産は豊かでした。独りで気丈に生きておられましたが、1年後くらいから、息子さんの家に何度も同じことで電話をして来るので、長男さんのお嫁さんが見に行くと、家の中が散らかって食べ物が腐っている状態でした。何とかしなければと思っているうちに、自宅で転んで大腿骨頸部骨折となり、寝たきり状態となってしまいました。地元の病院で長期入院は難しく、当時は介護サービスも不十分でしたので、息子さんたちの住む堺市の病院に転院されることになりました。ここまでの采配はすべて長男さんがされて、病院の主治医(つまり私)との話し合いも長男さんがされました。
入院されたAさんは、さっきのことをすぐに忘れ、日付や場所などがわからない認知症状態で、両下肢の筋力が低下しており、ベッド上の生活でしたが、言語能力は保たれ、日常会話は十分にできました。結婚したら姑、小姑がいる大家族で、それはそれは気苦労が絶えなかった。でも2人の息子は親孝行のいい子たちだといった話を楽しそうに話されていました。いつも笑顔のおだやかな人でしたが、時折なにか思い出すのか、悲しそうになり「涙ぁ拭いてくれぇ」と岡山弁で言われたりしていました。
主治医は、長男さんに「今は元気だが、年齢からも身体状態からも、いつ急変があってもおかしくない。そのことを親族に伝えてほしい」と話しました。すると、しばらくして、面会の約束もなく突然、次男と称する男性が弁護士を連れて病院に乗り込んできました。弁護士は「長男が次男の承諾もなく勝手に入院させた。長男に都合よく遺言書を書かせる意図が明白だ。次男が別のところで面倒をみるからすぐに退院させろ」と横柄な態度で主治医に迫ります。
当時の私は(まあ今もなんですけど)、とても気が弱くて言い返すことができず、おろおろし、「まずは長男さんと連絡をとらしてくれ」と頼み込みました。長男に電話すると「とんでもない話だ、次男は母の介護なんかしたことがなかったのに、遺産相続の話をしだした途端に、顔を出してきた。病院を探して岡山から引き取ったのは自分だ。絶対認めない!」といいます。どうやら、お母さんの死後の相続をめぐって、有り余るほどの財産処分で激しく争っているようでした。私はどうしようもなくなり、病院の電話で直接話をしてもらうしかありませんでした。長時間、大声のやり取りがありましたが、弁護士までつれてきた次男が説き伏せたのでしょう、結局、次の日に別の病院に転院することになりました。
Aさんには息子さんたちのやり取りは知らせませんでしたが、なんとなくわかったんでしょうか、転院の時は、穏やかではあったものの目に涙が溜まっていました。その後、Aさんがどうなったのか、財産問題がどうなったのか、まったくわかりません。

親の介護や遺産をめぐっての兄弟間の争いは、本当にしばしば経験します。経済的なことや、長期間に渡る家族間の心理的もつれもからみ、泥沼状態になることも多いです。財産なんて残さない方がいいんですかねえ。

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